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【合戦解説】布野の戦い 大内派国衆 vs 尼子 〜 月山富田城に攻め寄せる大内軍を返り討ちにした尼子晴久は防安備へ反転攻勢に出る 〜 <毛利⑮>
<毛利シリーズ⑮話>
時は戦国時代 中期
天文10年(1541) 11月
一代で数ヶ国を領する戦国大名へとのし上がった雲州の狼こと尼子経久がこの世を去った。
安芸吉田郡山城攻めで毛利に大敗を喫した直後であったこともあり、当主 尼子晴久を見限り大内に靡く国衆が次々に現れた。
これを好機と捉えた大内義隆は 打倒尼子を掲げ挙兵。
石見 安芸 備後の大内派国衆も動員した総勢2万とも3万とも云われる大軍で出雲へ侵攻。
居城 月山富田城から出てこない尼子晴久を臆病者とあざ笑うかのように、大内軍は月山富田城から1里(約4km)の地まで迫り城を包囲 、尼子の滅亡も間近だと誰もが思った。
しかし 智将 陶隆房 毛利元就をもってしても 中国一の堅城 月山富田城を力攻めで落とすことはできず、長引く戦と度重なる敗戦は大内従軍国衆の士気を低下させ、ついには吉川興経 三刀屋久扶 三沢為国といった 元尼子派の離反を招いてしまった。
不利を悟った大内義隆は尼子との和睦に切り替え 尼子方もそれを受け入れる方向で進むかに思われたが、この時をじっと待っていた尼子晴久は、撤収支度に入った大内軍を確認するや 全軍に突撃の命を発した。
先陣を切る勇猛果敢な新宮党の奇襲を受けた大内軍は あっという間に総崩れを起こし。
大内義隆は毛利や小早川の隊が殿軍となり尼子の追撃を凌ぐ間に なんとか出雲から脱出するも、義隆の嫡男 大内晴持や 重臣 杉隆宣 沼田小早川当主 小早川正平などが命を落とす大敗北となった。
出雲を脱出した毛利元就もまた 渡辺通ら家臣を多く失いながらも、なんとか毛利領である石見 邑智郡の二ツ山城に辿り着くことができたのだった…
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【合戦解説】第一次月山富田城の戦い[後編]大内 vs 尼子 〜 公卿となった大内義隆は中国地方の覇者となるべく宿敵 尼子晴久の巣 出雲国に足を踏み入れる 〜 <毛利⑭>
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<毛利シリーズ⑭話> 時は戦国時代 中期 天文6年(1537) 尼子家を相続した尼子詮久は持ち味の統率力を発揮し数年のうちに播磨手前まで勢力を拡大していった。 尼子の台頭を脅威と捉えた大内義隆は豊後の大友と和議を締結し 尼子との決戦に向け兵を東に向かわせた。 天文9年(1540)夏 大内家の軍監 陶隆房は 尼子派の安芸武田家当主 武田光和の死を好機と捉え、武田討伐の兵を挙げる。 その報せを受けた尼子詮久は播磨制圧を中断し出雲に戻り、3万もの軍を再編制し 武田の救援に向かうも、進路を塞ぐ毛利元就の巧みな計略に乗せられ尼子軍は総崩れを起こし出雲に撤退させられてしまった。 尼子の援軍を失った武田家は 毛利を主とする安芸国衆の攻めを受けあっさり滅亡。 尼子の縁戚でもある吉川家も大内に従属することを決め 騒乱が続いた安芸国は大内の治める地となった。 幕府より安芸守護の職を得た大内義隆は、曽場ヶ...
【合戦解説】第一次月山富田城の戦い[前編]-赤穴城の戦い- 大内 vs 尼子 〜 尼子軍の毛利攻略失敗に続き安芸武田氏滅亡を受け尼子派国衆に動揺が走る 〜 <毛利⑬>
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<毛利シリーズ⑬話> 時は戦国時代 中期 天文6年(1537)に入り 齢80をむかえた出雲守護 尼子経久は、嫡孫 尼子詮久に家督を譲ることを決めた。 尼子の頭となった詮久は 持ち味の統率力をすぐにも発揮。 一門衆の新宮党を率い東は美作 備中 備前に播磨、西は石見銀山奪取と 次々に領土を拡大していった。 一方 九州の豊前や豊後で大友と争っていた大内義隆は 将軍 足利義晴の仲介を受け、大友と和睦し 矛先を武田や尼子に切り替え 隊を東に向かわせた。 大内の参謀 陶興房の死により軍を率いることとなった 嫡男 陶隆房は 卓越した軍略をもって石見銀山を奪還。 安芸武田家当主 武田光和の死に付け込み 武田家を滅亡させるべきと 主 大内義隆に建言し、義隆はそれを認め 周防 長門 筑前の大内軍が安芸国に向け動き出した。 その報せを受けた尼子詮久は 尼子派の武田を守るため、若狭武田家から武田信実を光和の...
【合戦解説】第二次 銀山城の戦い 毛利・安芸国衆 vs 武田 〜 尼子軍の撤退を受け孤立する安芸武田家に元就の謀略が迫る 〜 <毛利⑫>
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<毛利シリーズ⑫話> 時は戦国時代 中期 大内義興の死を受け 広大な領土を相続した大内義隆は、反乱を起こした肥前の少弐や豊後の大友鎮圧に時を要していた。 大内主力が西に拘束される間に勢力拡大しておきたいはずの 出雲守護 尼子経久であったが、反乱を起こした三男 塩冶興久の死は 80歳を過ぎた老将の心を砕き、尼子の家督を嫡孫 尼子詮久に譲ることを決めた。 家督を継いだ若武者 詮久は、赤松と浦上の内乱で疲弊を続ける 美作 備中 備前に侵攻。 士気の高い尼子軍は瞬く間に浦上を追い払うと その勢いのまま播磨に入るも、将軍 足利義晴の仲裁が入り 出雲に戻ることとなった。 詮久は ならばと矛先を西に向け 石見の銀山を制圧し大内へ宣戦布告した。 しかし 尼子が西に向かったことを聞きつけた播磨守護 赤松晴政は 対立していた浦上と和睦し 反尼子を大義に掲げ挙兵。 それに怒った詮久は 再び備中 備前に攻め...
【合戦解説】吉田郡山城の戦い 毛利・大内 vs 尼子 〜 大内と尼子の決別により安芸国が再び騒乱の地と化す 〜 <毛利⑪>
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<毛利シリーズ⑪話> 時は戦国時代 中期 中国西部から九州北部までを支配下に置く太守 大内義興が、享禄元年(1528)12月 この世を去った。 これを受け 出雲守護の尼子経久や 九州の豊後守護 大友義鑑、肥前守護 少弐資元らが一斉に蜂起。 義興の跡を継いだ大内義隆は 東の抑えを弘中興兼や毛利を筆頭とする安芸国衆に託し九州での反乱鎮圧に全勢力で臨むことを決めた。 一方 尼子家では 遠征に次ぐ遠征で困窮する民や寺社の不満が蓄積し、そこに目を付けた毛利元就は尼子家中を混乱させる謀を仕掛けた。 その謀は見事に成功し 経久の三男 塩冶興久が寺社に担がれる形で反乱を起こしたのだ。 出雲の鎮静化に時を要すると判断した尼子経久は大内と和睦を決断。 九州鎮圧に専念したい大内義隆と利害は一致し和議は締結され 安芸や石見にひと時の安穏が訪れた。 しかし わずか数年で塩冶の乱は鎮火となり、塩冶興久は妻の実家...
【合戦解説】甲山城の戦い 尼子 vs 山内 〜 反乱を起こした塩冶興久が備後の山内家に逃れている事を知り尼子経久は兵を差し向ける 〜 <毛利⑩>
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<毛利シリーズ⑩話> 時は戦国時代 中期 享禄元年(1528)12月 周防 長門をはじめとする7カ国の守護職を努めた太守 大内義興がこの世を去った。 その報せを受けた尼子経久は この機を逃すまいと石見や備後への侵攻を開始する。 石見攻めを託された 経久の三男 塩冶興久は 赤穴隊 石見の小笠原や高橋の隊を率い、大内の資金源の一つ 石見銀山の制圧に取り掛かるも大内軍の必死の抵抗を受け銀山制圧に難航する。 その間 大内派の安芸国衆 毛利元就が動いた。 亡き大内義興 その跡を継いだ大内義隆から高橋攻めの大義を得ると、主不在の手薄な高橋領へ侵攻した。 安芸や備後の国衆から加勢を得た毛利軍は およそ半年をかけ 高橋領を制圧させ、尼子の石見侵攻を南から牽制した。 毛利の北進を受け高橋や小笠原といった隊を失った塩冶興久は 終に石見侵攻を諦め出雲に撤退となった。 これまでの倍以上の領土を得た毛利元就で...
【合戦解説】三入横川合戦 武田 vs 熊谷 〜 大内義興の死を受け 尼子の石見や備後侵攻が再開される中 安芸分郡守護 武田光和も旧領奪還に動き出す 〜 <毛利⑨>
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<毛利シリーズ⑨話> 時は戦国時代 中期 尼子の備後崩れを契機に大内への従属を明確に示した毛利元就は、安芸の全土統治を狙う大内義興の後ろ盾のもと 毛利領の拡大を模索していた。 そんな折 尼子経久の三男 塩冶興久が高橋家を使い毛利領を奪う計画があることが元就の耳に入る。 これを口実に 高橋領を奪い領土拡大を図りたい元就であったが、亡き兄の嫁の実家である高橋家を攻めることに異を唱える家臣も多く、攻め入る大義作りに奔走するも、その最中の享禄元年12月 頼みの大内義興が病でこの世を去ってしまった。 それを聞いた尼子経久は 次男 国久を備後に、そして三男 興久を石見に向かわせ、当主の死に狼狽する大内領を一気に奪う動きに出る。 後ろ盾を失った元就の頭に 再び尼子への帰参が過るも、義興が生前遺していた「高橋領の制圧を命ずる 得た領土は全て毛利のもの」との下知状を受け取り、反対派の家臣を説得させ出陣...
【合戦解説】藤掛城の戦い 高橋 vs 毛利・大内 〜 毛利元就は尼子との決別を機に領土拡大へと舵を切る 〜 <毛利⑧>
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<毛利シリーズ⑧話> 時は戦国時代 中期 出雲の月山富田城を居城とする尼子経久の安芸侵攻を受け、大内から尼子に従属先を変え生き残りを図っていた毛利元就であったが、経久の執拗な家督介入や 度重なる出陣命令に 元就の心は尼子から離れていった。 そんな元就の心を察してなのか 大内の参謀 陶興房は元就を懐柔することが安芸統治への近道であると捉え、水面下の内応を試み 元就は快く応じた。 毛利元就を味方にした陶率いる大内軍は強く、鏡山城を拠点とする尼子の安芸駐留軍をあっさり出雲に追い払うと、尼子派国衆の大半を大内派に寝返らせることに成功する。 安芸を失った尼子経久は ならば東の備後制圧へと繰り出すも陶興房や毛利元就の周到な計略により 尼子先遣隊は壊滅。 急ぎ備後入りした経久であったが 大内との決戦に勝機なしと判断し 出雲に撤退していった。 この尼子軍の撤退を誰よりも喜んだのが、周防 長門の太守 ...
【合戦解説】細沢山の戦い 大内・備後山名 vs 尼子 〜 伯耆を制圧した尼子経久は次なる狙いを備後に定める 〜 <毛利⑦>
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<毛利シリーズ⑦話> 時は戦国時代 中期 大永3年(1523)7月 安芸毛利家当主 毛利幸松丸が9歳の若さで病死してしまった。 嫡流断絶を受け当主は幸松丸の後見役である叔父の毛利元就が継ぐことになるも、尼子経久や亀井秀綱の介入により 元就の弟 相合元綱を擁立する動きが起こる。 それを察知した元就は 内乱になる前に手を打つべきと決め、心を鬼にして 弟や それに従う坂 広秀 渡辺 勝ら重臣を粛清した。 尼子への不信感が日増しに強くなっていく中、安芸国を尼子から奪い返すべく、周防・長門の太守 大内義興自ら25000の大軍勢で攻め込んで来た。 安芸国を託されていた亀井秀綱は武田の居城 銀山城を狙いに来た大内義隆率いる15000の軍勢を 毛利元就の奇策により撤退させる大勝利を収めるも、兵糧攻めを受けていた桜尾城の厳島神主家当主 友田興藤を救うことができず、安芸国衆らの心は尼子から離れだした。 ...
【合戦解説】米山城の戦い 大内 vs 天野・尼子 〜 安芸武田家の居城 銀山城攻略に失敗した大内義興は次なる狙いを安芸東部に定める 〜 <毛利⑥>
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<毛利シリーズ⑥話> 時は戦国時代 中期 大永3年(1523)に入り出雲国を支配下に置く尼子経久の安芸侵攻が本格化してきた。 尼子傘下の毛利家は その先鋒衆として 大内家の安芸拠点 鏡山城攻略を成功させるもその数カ月後 毛利家当主 幸松丸が9歳の若さでこの世を去ってしまい毛利家嫡流の断絶という不幸に見舞われてしまう。 これを聞いた尼子経久は 毛利家を取り込むべく家督介入に出るも、毛利元就や 執政 志道広良により全てを封じられ、興元の弟 元就が重臣一致による賛同を得て毛利家当主に就くこととなった。 一方 これまで安芸国を支配下に置いていた大内義興は、尼子の躍進を封じるべく 周防や長門の大内主力25000を動員し、当主 義興 そして嫡男 義隆も引き連れての安芸奪還へと陣を進めてきた。 大内の進軍を察知した安芸分郡守護 武田光和や 安芸尼子軍の将 亀井秀綱は急ぎ対抗措置を取るも 早々に宮島...
【合戦解説】第一次 銀山城の戦い 大内 vs 武田・尼子 〜 尼子経久の目が安芸から伯耆に移ったことを受け大内義興が安芸奪還に動き出す… 〜 <毛利⑤>
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<毛利シリーズ⑤話> 時は戦国時代 初期 永正13年(1516) 夏 安芸国北部の国衆である毛利家の主 毛利興元が亡くなったことを受け、その嫡子 幸松丸が2歳の若さで家督を相続。 興元の弟 毛利元就は幼い幸松丸の後見役となり 大大名 大内義興、そして急速に勢力拡大を進める尼子経久に挟まれながらの舵取りを担うことになった。 局面が変わったのは 幸松丸が家督を継いで5年が経過した大永元年(1521) 姻戚先の高橋家や吉川家が 相次いで尼子派に転じたことだ。 それを受けた元就は 時流に逆らう時では無いと判断し 大内から尼子へ転じることを決めた。 尼子家当主 尼子経久は 安芸分郡守護 武田元繁を謀略で討った元就が傘下に加わることを喜ぶ一方、毛利に力を持たせることは安芸支配の弊害になると考え、大内の西の拠点 桜尾城、そして東の拠点 鏡山城攻めの両先鋒を元就に命じるも、元就は巧みに謀を巡らし 両...
【合戦解説】船山城の戦い 毛利 vs 相合 〜 尼子傘下の国衆として獅子奮迅の活躍を魅せた毛利家に次なる難題が降りかかる… 〜 <毛利④>
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<毛利シリーズ④話> 時は戦国時代 初期 永正17年(1520)頃より始まった 尼子軍による石見侵攻の猛威により、出羽城を拠点とする高橋氏や 小倉山城を拠点とする吉川氏は尼子経久の軍門に降ることを決断。 高橋や吉川と縁戚関係を持つ毛利家もまた 大内から尼子へ臣従先を変えることを決め、元就は尼子経久に 毛利の行く末を賭けた。 一方 反 を翻した 厳島神主家一門 友田興藤を降伏させるべく 厳島神社の館に入っていた大内義興は、九州は肥前国で 守護の座を奪還するべく挙兵した少弐資元の鎮圧が優先と判断し、重臣 内藤興盛に厳島神主家領を託し 周防へ帰還。 この時を待っていた尼子経久は 大永3年(1523)春 自ら大軍を率いての安芸侵攻を決断。 大内の西の拠点 桜尾城 東の拠点 鏡山城 この二つの城を落とすことで、安芸国での大内の支配は後退すると捉え 安芸武田家を筆頭とする 尼子派の国衆らに出陣...
【合戦解説】鏡山城の戦い 尼子・毛利・吉川 vs 大内 〜 尼子家へ従属を決めた毛利元就は大内の安芸拠点攻略を託される 〜 <毛利③>
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<毛利シリーズ③話> 時は戦国時代 初期 安芸毛利家当主 幸松丸の後見を務める叔父 毛利元就は、永正14年(1517) 2月、敵方である 安芸分郡守護 武田元繁が吉川領に攻め込んできたことを受け出陣。中井手の地にて決戦に至り 劣勢の中 敵将 武田元繁を討ち取る大勝利を飾った。 武田と手を組む出雲の尼子経久は 武田元繁 討死の報せを受けると 狙いを安芸から石見銀山に切り替え 兵を動かした。 京に在陣中の大内義興は 尼子の動きを察知し周防への帰国を早め 尼子対応に取り掛かった。 しかし義興が大内館に戻っても尼子派国衆による石見侵攻は継続的に続き、安芸国では 厳島神主家当主の座を狙い 神主家一族の 友田興藤が挙兵。安芸武田の家督を継いだ 武田光和が合力し桜尾城や宮島攻略へと動いてきた。 また 肥前国では 大内に土地を奪われていた少弐資元が 領土奪還を狙い挙兵。 豊後の大友義長も 大陸との交...
【合戦解説】日下津城の戦い 毛利 vs 坂 〜 尼子経久の台頭と大内義興の周防帰国を受け毛利元就はある決断をする… 〜 <毛利②>
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<毛利シリーズ②話> 時は戦国時代 初期 永正8年(1511)夏 西国の大大名 大内義興の命により丹波で在陣していた 安芸毛利家当主 毛利興元は 対立する 細川澄元らが勢力を盛り返してきたことを受け 高橋久光 吉川国経 平賀弘保といった安芸や石見の国衆らとともに無断で本国に帰還、国衆一揆(国人一揆)を起こし大内の傘下を抜ける決断をする。 安芸国では大内義興を悩ませるもう一つの問題が発生していた。 それは 安芸の一之宮 厳島神社の神主家当主 藤原教親とその嫡子 興親が相次いで病死してしまったことから 後継の座を巡って一族の友田家と小方家で内紛状態となっていたことだ。 更には出雲を支配する尼子経久が安芸を狙う情報も入り 義興は安芸西部を領する分郡守護 武田元繁を京から戻らせ 対応に当たらせた。 しかし 安芸の守護に返り咲くことを大志とする武田元繁は 反 を翻し 安芸から大内派を一掃する...
【合戦解説】有田中井手の戦い 毛利・吉川 vs 安芸武田 〜 兄の死により当主後見役となったばかりの元就に難題が降りかかる… 〜 <毛利①>
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Комментарии

  • @user-dj1vk2xs2x
    @user-dj1vk2xs2x 22 часа назад

    「とんでもございません。」という日本語はありません。「とんでもないことでございます。」が正しい日本語です。

  • @ch.1752
    @ch.1752 23 часа назад

    確か出羽祐盛の息子て毛利元就から養子をもらっていたよね

  • @user-xq9tg7hn1r
    @user-xq9tg7hn1r День назад

    そろそろ関ヶ原の戦いお願いします

  • @user-rl2xc9kp3n
    @user-rl2xc9kp3n День назад

    「さてとようやくゆっくりでき」 「が二千を率いてやって来ました」 戦場では  「井上隊千は追撃」

  • @kusunoki_N
    @kusunoki_N День назад

    お松は、元就に近づくためにわざわざ襲われた(ふりをした)のかな? 今後の活躍を見ていると、とてもあの程度で「キャー」とはならなさそう。

  • @kazumasuishikawa2733
    @kazumasuishikawa2733 День назад

    義元=桶狭間とか海道一の弓取り、、、では無く、ぺっぴん全集おじさんに成り果てている件

  • @user-hf8ig1ti9q
    @user-hf8ig1ti9q День назад

    28:58

  • @user-fn5bn8bn4j
    @user-fn5bn8bn4j День назад

    8:00 21:36

  • @user-fn5bn8bn4j
    @user-fn5bn8bn4j День назад

    13:45

  • @user-fn5bn8bn4j
    @user-fn5bn8bn4j День назад

    9:22 11:58 28:32 30:58 35:37 38:30 50:42 1:00:24

  • @user-zl4eq2be1k
    @user-zl4eq2be1k День назад

    算大きは勝ち、算少ないはーーー。 ですか。 やはりーーー。 勝利は大兵にあり。 ですか。 まあ。 戦略とは敵に倍する戦力を決戦場に集める事‐‐‐ ですか。 戦術とは? なんですか? 内線、外線。 斜行陣。 横槍一本というのも。 詳しい方。 お願いします。 それと。 三方ヶ原。 信玄は全軍をもって、祝田の坂を通ろうとしたのですか? それとも、部隊ごとに何隊かに分かれ、この隊はこの道を、別の隊はこの道を。 というように、祝田の坂以外の何本かの街道を岡崎へ向け西上したのですか。 となると三方ヶ原の武田軍の兵力は? 分進した武田の諸部隊が家康の出現に、各街道から方向を変え三方ヶ原に集まってきた、ということですか? まさか。 そのあたりの資料は。 二万七千ということは兵同士、一メートル間隔で27キロ。 二列縦隊でも13.5キロですか 日本の場合。 山間部てはどの程度の長さが運用上、 あまり長いと。 まあいいか。 信玄の西上作戦でも、最初、各方面から遠江に入っているようですし。 家康もそれを各個に撃破出来なかったのですか。 例えば。 甲斐から浜松を攻めるには。 どうすれば。 浜松から岡崎を攻めるには。 実際の侵入経路は何本で。 詳しい方よろしくお願いします。 教えて下さい。

  • @kudohirofumi4993
    @kudohirofumi4993 День назад

    桜は見事ですが 天守閣は本物の天守閣ではありません 近くにあった見張り櫓ですので 見栄えがチンケイです。

  • @ducameteora5032
    @ducameteora5032 День назад

    小早川隆景を色々調べていた時にこのチャンネルを知りました! 歴史初心者の私でもわかりやすく、毎回心を震わせられたり(勝鬨の所は毎回キます!!)クスッとさせられたりと本当に面白くてしょうがないです♪毛利元就がこんなに凄かったとは!このシリーズを見終わったらまた最初から見直したいです♪大河も気になってます(笑) 地元も出てきた回でようやくではありますが、応援の気持ちとして初コメです!これからもしっかり学ばせていただきます♪ この時代この国に生まれた幸せを噛み締めつつ、先人からの学びをしっかり吸収したいのですがそれは二の次で、とにかく動画に惹き込まれ日々堪能してます(笑)これからもよろしくお願いいたしますm(_ _)m

  • @braveshinecharley
    @braveshinecharley День назад

    戸次鑑連もまた濃いキャラだなw メチャクチャ威圧的且つ無骨な見た目なのに中身はちょっと乙女…とかw

  • @user-kt6lh9nm1j
    @user-kt6lh9nm1j 2 дня назад

    長慶チョイ役なのにかっこいいキャラ絵もらってるし次の主人公だったりするのかな?

  • @kamenriderlove
    @kamenriderlove 2 дня назад

    3:03 大丈夫か?広良。

  • @user-qs5vg5po1r
    @user-qs5vg5po1r 2 дня назад

    思ったけどこの時に、福島家に責任を押し付けず、朝比奈をちゃんと罰していれば、彦爺、氏輝、彦五郎は死ななかったんだろうな…

  • @user-zy8zt3qo2k
    @user-zy8zt3qo2k 2 дня назад

    1:00:07 投扇興ってしあわせ家族計画という番組で出てきてた扇子投げるやつか

  • @user-zt1nd9bb2l
    @user-zt1nd9bb2l 2 дня назад

    滝川一益の孫と、真田昌幸の娘が、後に夫婦になる。

  • @user-qi9nt5bi4i
    @user-qi9nt5bi4i 2 дня назад

    吉見正頼、見逃していたっ!! 吉見家と言えば内藤家や益田家とともに「大内道頓の乱」で陶家と深い因縁のある家じゃねえか。 既に、いつか来る〝あの事件〝への布石が置かれ始めたという事か。

  • @ymac683
    @ymac683 2 дня назад

    又助けたカメに裏切られ。長年の戦がことごとく無駄になった行く。あげく北条はもうすぐ滅びる

  • @user-rl2xc9kp3n
    @user-rl2xc9kp3n 2 дня назад

  • @user-rl2xc9kp3n
    @user-rl2xc9kp3n 2 дня назад

  • @user-rl2xc9kp3n
    @user-rl2xc9kp3n 2 дня назад

  • @user-rl2xc9kp3n
    @user-rl2xc9kp3n 2 дня назад

    細川が細方になってましたよ

  • @user-zm1nz3xw2g
    @user-zm1nz3xw2g 2 дня назад

    広信さんが~( ;∀;)

  • @user-vc5ui3wq4u
    @user-vc5ui3wq4u 2 дня назад

    大内義隆、ポヤポヤしていそうにみえて、この時期はまだまだキチンと臣下のコントロールはしているのが描写されていて嬉しい。 ここからどうやって破局して大寧寺の変に至るか、期待。

  • @user-ls9nt1zc7j
    @user-ls9nt1zc7j 2 дня назад

    義隆も貫禄がついたな

  • @millione41
    @millione41 2 дня назад

    元就当初の計画とは異なる展開でしたが、結果的に思惑を達成できたのは凄い。 新宮党は戦闘力こそ高いけれど、元就の立てた戦略に阻まれ、最終勝利を逃すことが多い。 勝利には戦闘だけでなく、根回しや戦略が必要だということを示す典型例ではないでしょうか?

  • @kazumasuishikawa2733
    @kazumasuishikawa2733 3 дня назад

    北条と仲違えしたのは致命的だったよなぁ。コレなかったら、全然その後の今川は違ってるはず。

  • @user-uc6qo1te9p
    @user-uc6qo1te9p 3 дня назад

    これもしかして次は厳島合戦の前哨戦に当たる 折敷畑の戦いだったりする!?

    • @kamirubidan2681
      @kamirubidan2681 День назад

      まだやろ。大内義隆が謀反で亡くなって陶隆房が大内家を牛耳ってる時に毛利元就は陶側で動いて尼子側の領土を切り取るって戦いがあるはずやで。陶に協力して尼子が石見攻略出来ない様に毛利元就が手を貸したのに毛利元就が切り取った尼子家の領土(大内家の内乱で尼子が大内から切り取った領土)を大内家(陶側)に渡せって要求を拒否して毛利元就と陶隆房が手切れになるから。毛利元就は陶隆房、尼子晴久同時に戦えないので謀略で新宮党を尼子晴久に粛清させたりまだ厳島の戦いまで先はあると思うよ

    • @user-uc6qo1te9p
      @user-uc6qo1te9p День назад

      @@kamirubidan2681 確かに次回は吉川家乗っ取り、竹原・沼田小早川家乗っ取り、井上氏の粛清、吉川興経の粛清→大寧寺の変(西日本最大の事件)って感じで終わりそうやね。 その次の回に陶隆房(晴賢)の謀反に協力→陶から領土返還要求&吉見家への出兵要請を元就が拒否→折敷畑の戦い→厳島の戦いかな?

  • @Kashinoheki2003
    @Kashinoheki2003 3 дня назад

    山名理興も結構したたかなんだ

  • @user-rl2xc9kp3n
    @user-rl2xc9kp3n 3 дня назад

    全種類の武田をコンプリートするぞ

  • @user-xh6mk9dc1m
    @user-xh6mk9dc1m 3 дня назад

    長編大作ありがとう

  • @shivasaki5255
    @shivasaki5255 3 дня назад

    まさかの結末で最高でした

  • @user-ti7ln7xq5q
    @user-ti7ln7xq5q 3 дня назад

    いやぁニッチな戦のクローズアップは、萌えた ユキムラ氏の視点たまらんです! 楽しかった!

  • @sakupiyo3939
    @sakupiyo3939 3 дня назад

    13:16 好き過ぎる

  • @user-iv5em8lu6h
    @user-iv5em8lu6h 3 дня назад

    秀吉が黒幕説は支持しない。誰が一番得したかということなら秀吉では無く天下を最後に取ったのは家康だろ? 真相は半蔵に命じて本能寺に放火したのが家康だと思う。明智軍は信長を討つ気は無く家康を討つ気だったとも。なので本能寺で信長が是非もなしと自滅したのは早とちり。結果明智光秀の謀反が成立してしまったのだ。だからその後の光秀のうつ手はゴテゴテでグダグダだったのか。それに対して秀吉のうつ手はピタピタハマりまくりで太閤まで上り詰めた。秀吉に黒田官兵衛という天才軍師がいたから成し得たこと。家康に本多正信がいたようにね。

  • @joysoy2121
    @joysoy2121 3 дня назад

    偏諱を賜った事によって石見銀山を取るしかなくなったのか。

  • @toyo156
    @toyo156 3 дня назад

    疲れそうね😊

  • @user-hv6ud7fu6l
    @user-hv6ud7fu6l 3 дня назад

    このパターンの本能寺の変は初めて。もしかしてだけど、朝廷側が雇った兵でなくて秀吉が作戦を練って羽柴隊がどこかに潜伏して変を起こせば中国大返しの速さも納得いく。

  • @user-of3fo4hm2e
    @user-of3fo4hm2e 3 дня назад

    竹槍❨急造❩ 沸粥 等 応戦してたと有るが

  • @shintarou1972
    @shintarou1972 3 дня назад

    まさかの大どんでん返し!! 三吉致高あっぱれです👏

  • @user-si3rb3ze4e
    @user-si3rb3ze4e 3 дня назад

    그래도 나는 安土城이 가장 좋아요. ^^

  • @user-uw9js4sq2u
    @user-uw9js4sq2u 3 дня назад

    足利義晴の声ひろゆき 笑